銀の魔術師と妖精死譚

2.迷子の子 04
矢島悠治が通う明桂学園高等部と自宅の間に、ごく小さな稲荷の社がある。
温かい日は、よく野良猫や家猫が集まっては日向ぼっこをしている社だ。
矢島はその前を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。
ふぎゃあああああ、と猫が威嚇する声。
珍しい。あまりここで猫たちが喧嘩をすることもなければ、この季節に居ることも少ないのだが。
「ああぁぁぁぁぅ……!」 猫の声じゃないものも混じっている。人、か。
矢島は小さな鳥居越しに社を一望した。
何匹かの猫が体毛を逆立てて鳴いている。
それに対抗するのは、
「……異形の、子供?」
ただならぬ気迫をみなぎらせて、一対多のにらみ合いをしているのは小学生くらいの子供だった。
ただ、気配と呪力が人の物ではない。
頭にはピンと耳が立ち、ぐるぐると呻る声は獣のそれと遜色ない。
ふぎゃ――!! とひとしきりやり合った後、猫たちはバーッとどこかに帰って行った。
一人息も荒い異形の子供だけが社の前に残る。
「ふー……ふー……」
矢島は鳥居にもたれて様子を見守る。
しばらくすると息も整い、しゃがみ込んだまま子供が膝を抱えた。
「あぅう……」
きゅるきゅると胃が悲しげに鳴る。
「……お腹すいてるの?」
ぼそりと矢島が言うと、ピクリと耳が動いたと同時に子供が振り返った。
「なぁ?」
しばらく首をひねりつづけ、ふと何かに気が付いたかのように異形の子供が寄ってきた。
「うーう、あ?」
自分のことを指差していたかと思うと、今度は矢島をと交互に指差す。
「見えてるかってこと? 見えてるよ」
矢島が頷き、そう答えると、子供の顔がぱぁっと輝く。
懐をまさぐり首を傾げ、袖をごそごそとまさぐる。
「うあ、あーあい、あ……」
「?」
袖から何か古臭い手紙のようなものと、折りたたんだ紙を取り出し、開いて見せた。墨で何か書かれている。
「ちょっと貸してね」
すでにあたりは薄暗い。矢島は子供の手を引いて街灯の下に移動した。
和紙には「平瀬 狭霧神社 浅井慧 汐崎あかり」と簡単な地図らしきものがいくつも書かれていた。
「狭霧神社に行きたいの?」
後ろに結んだしっぽ髪が跳ねる勢いで子供が頷く。
「少し距離があるな……」
話の合間に時折子供の空腹で腹の虫が鳴くのもひどく気になる。
「コンビニ……スーパーの方が近いか……ねえ、さっきの神社で俺の荷物と一緒にちょっとだけ待っててくれない?」
「う?」
「お腹空いてるでしょ? ご飯食べてから神社にいこう?」
矢島の言っていることを理解したのか、大きくうなずき矢島の鞄に取りつく。
「あ、ほらほら、神社で待つの」

コールをかけることしばらく、2度目でやっと相手が着信を取った。
『もしもしー?』
「浅井、川西と商業区の境の稲荷の場所分かる?」
『何だ、藪から棒に……』
利がうんざりした声で答えた。後ろが何か騒がしいが、今は無視だ。
「場所分かるならちょっと来てくれ。誰でもいいから」
『今やんなきゃいけないことあって手空きいないから勘弁してくれ』
そもそも何で、と電話の向こうで利がぼやく。
「稲荷で子供拾った。猫みたいな耳の生えてる。そいつが神社に行きたいって示してきたから」
稲荷が見えてきた。敷地内にある街灯の下で異形の子供が手を振って待ちわびている。
『待て、子狐か?』
「狐……なのか?」
携帯を肩で抑えながら、スーパーの袋からいなり寿司パックを取り出す。
『名前、信太じゃないか?』
「しのだ……? 名前?」
異形の子供が驚いたように顔を上げる。
「しのだなのか?」
いなり寿司のパックを受け取りながら、信太が大きく頷く。
『今、川西の端の稲荷に居るのか?』
「ああ、今先に飯食わせて……」
ばりばりとパックを破り、信太が「いらぁいあす!」と手を合わせる。
『……元気そうだな』
「そりゃ、腹空かせてるところに食べ物もらえれば元気になる」
利が「しばらくそこにいるな?」と念を押すので、矢島は動く気がないと答えた。
『わかった、だれか向かわせる』
じゃあね、と言いかけて途中で通話が切れる。
かなり慌てているようだったが、事故らないだろうか。家の中で。
振り返ると信太がうれしそうな笑顔でいなりを頬張っていた。