銀の魔術師と妖精死譚

2.迷子の子 01
「う…………?」
小さな影が鳥居を見上げる。
その額には、人の物ではありえない角があった。

「行ってきまーす!」
「はーい、気を付けてねー」
バタバタという足音に声をかけ、慧は蛇口をひねった。
さすがに2月だ。水はまだ冷たい。
スポンジを手に取り、食器の上を滑らせる。
「高校はいいよねえ。暇を持て余すことがなくて」
「そんなに暇なら外でバイトして来い」
「家でこき使ってるくせによく言うよ」
居間で新聞をめくる父に、慧は苦笑した。
「バイト増やしたいところだけど……卒論入るから無理だよ」
自分の小遣いくらいは稼ぐから勘弁して、と慧は父に声を投げた。
「ところで親父―、町内会行かなくていいの?」
「今日だったか!」
がさり、と新聞が投げ出される音と共に、慌ただしく戸を開け閉めする音。
足音が遠ざかってから、慧はふと居間を振り返った。
「何でとっ散らかしていくわけ……」
やっぱり俺がこの家片付けんのね、と慧はため息をつき、スポンジを置いた。
チビたちが起きてくる前には片付け終わらせないと、さらに壮絶なことになる。
床に落ちた新聞を拾いあげ、棚から煙草の箱を取った。
大したニュースがあるとは思えないが、煙草を咥えて新聞をめくる。
「横領に……不正取引に盗撮って……世の中ましなニュースはないわけ」
がらがらがら、と玄関が開く音と共に、父親が飛び出していくのを視界の端で見た。
閉めた音はしなかった。
「だから……」
慧はフィルターを噛みながら、開け放った縁側から玄関に手を伸ばした。閉じれるか。
指先で勢いをつけてやると、ぴしゃんと音を立てて引き戸が閉まる。その反動で灰が落ちた。
「はぁ……」 煙と共に息を吐き出す。一服したら、境内と参道の掃除を一人でしないといけない。
バイト増やせるわけがなかった。
もう一度フィルターを苛立ちに任せ噛み潰すと、吸わないままに火をもみ消した。

「梅のつぼみがついても、2月はまだ冬だな……」
境内に張り出す枝を見上げ、慧はそうつぶやいた。そのまま枝の下を潜り抜け、参道に進む。
なんとなく、今日は参道から掃き清めようかと思った。
利と父が踏み荒らしていったから、参道が荒れている。
何処まで仕事を増やしてくれると思いながら、竹ぼうきで均し、ごみを取り除いていく。
石灯篭もそろそろすす払いしないといけないな、と横目に睨む。人海戦術で片付けるのが吉か。
ざっ…………ざっ…………
ざりり、と不意に砂利を踏む音が鳥居の方から聞こえた。
誰か来たか。この時間帯だと参拝者だろうか。
「うぅ? あー……」
「?」
何だ、と慧は鳥居を見た。少なくとも一般参拝客とは思えない。
鳥居の下に小さな影がある。
「うぅ…………?」
「あれ……」
人、じゃない、と直感した。
近づきながら、まじまじとその影を見る。
それが首を傾げた。
「いー?」
「あ、お前!」
慧は髪から覗いた突起を見て、ほうきを投げ出した。
「芳史の子鬼、お前なんでこんなところに!」



「ねえけいにい、あのこだぁれ?」
「……芳史の子鬼」
名前なんだったっけ、と慧はやる気なく天井を仰いだ。
結界に阻まれて立ちすくんでいた子鬼を拾い、家に帰ると紅花兄妹が起きていた。
拾った子鬼には今、冷蔵庫に余っていた草餅を食べさせている。
「お前名前なんだったっけなー……」
「う?」
「そうだよなー、お前喋れないんだよなー」
首を傾げた子鬼に、慧はがくりと肩を落とした。
粉を舐めているのか、指を口に含む子鬼はマイペースそのものだ。
「……そういえばお前、いつも一緒の子狐はどうした?」
「あ!」
わたわたと手を動かし、子鬼が何かを訴え始める。
「ううーうー、あー」
「…………」
「あいやいあー」 「……………………すまん、わからん」
「…………ぅぅ」
しょぼん、と子鬼がうつむく。
ぱさ、と髪が流れ、額をはさむ2本の角が覗いた。
「最初は一緒にいたんだな?」
「…………」
子鬼がこくりと頷いた。
「途中ではぐれたか」
子鬼がこくこくと頷く。 「それ、どれくらい前のことだ」
子鬼はしばらく首を傾げ、手と手で「少し」とやって見せた。
「このあたりまで来てはぐれた……か。確か小狐の方がちょろちょろ動き回るやつだったよなー」
何かに興味を引かれてどこかに行ったか。
「そういえばお前、ここに来たってことは芳史の差し金だろう。何か手紙とか持ってないのか?」
「うー……うぅ」
子鬼が困ったように首を傾げる。
「狐の方が持ってる、か?」
「あう!」
「わかった。お前はとりあえずうちに居ろ」
まずは小狐を探さないといけないらしい。
メールを送るため慧が携帯を取り上げると、今まで待っていた紅花兄妹が子鬼とじゃれはじめる。
きゃらきゃらと笑い声がはじけ、時折床が跳ねる。
ぼろい家だし、そのうち床が抜けるんじゃないかと思いながら、慧は縁側に出た。