銀の魔術師と捕縛の糸

episode-春逢- 04
「――夏葵!?」
「何だ?」
反響する悲鳴に釣られるように、一歩踏み出す。
その石タイルを踏んだ音が、異様な響きを持った。



ず…………………ン………………………
「う、あ…………っ重……」



膝が砕けそうになった。
空気が突然、とてつもない重さになってのしかかる。
視界が霞んだ。
身体に負担がかかり過ぎているのか――否。

重圧に耐えかねて下を向いた視線を遮る霞が、
濃密過ぎて膝下を全く見せない白さが、

よく見ると、空気の流れで薄く広がっている。
廊下の先から溢れだすそれは、無尽蔵に場を喰らっていく。
浸水した場所を歩こうとしているかのように、身体にかかる抵抗が強い。
夏葵のところへ行かないといけないのに。――そうだ、行かないと。
香葵は重い足を引き摺り上げた。
霞はさらに濃厚に床を這っている。
その緩く重い流れに逆らいながら、香葵は切実な思いで進んだ。



半端ない、と思った。
夏葵の実験室の扉のごくごく細い隙間から霞が溢れて流れ出している。
恐ろしく巨大な気配も。
未知の気配、というやつだ。
「夏葵……」
香葵は扉を叩いた。
びくともしない。当然だ。夏葵は実験実に籠ると鍵をかけてしまう。
遅れて健一が着いた。
「開かないのか」
「うん……」
健一は眉をひそめると、近場の壁にもたれた。
「なら待つしかないぞ」
「でも!」
「でもも何もない……夏葵は結界を張ってるだろうし、下手したらこの霞が部屋の結界代わりになってるかも知れない」
香葵は叩いてしびれる手を握り締めた。
結局、待つしかないのか。
いつも、待つしかないのか。
廊下に沈黙が下りた。
ぎしりぎしりと蝶番が悲鳴を上げる音が不愉快だった。
みしり、とあたり一帯がきしむ音がした。
健一がはじかれたように顔をあげた。
「香っ!!」
「え、な――――――っ!」
視界が、霞みで――



我私吾俺誰汝爾彼奴而…………誰????……………此処其処何処此方彼方今今今今今今生キル生キル生キル死ネル??生キル汝爾彼ノ為奴而……………誰ノ為????……………彼方ノ為在ル有ルアル存ル此処其処何処―――――前東西右南上北後左下―――――此方彼方隣向方ヲ守戦護攻働衛誅闘命従イ我私吾俺誰魂命魄体全テ汝爾彼奴而仕支遣エル者也

――なんだ、これは。

霞から聞こえる、声。
霞に飲み込まれが香葵が今認知できるのは、この声と、巨大な気配だけだ。
平衡感覚も、もうわからない。
そしてまた、声なき声の絶叫を聞いた。