銀の魔術師と捕縛の糸

3.眠りの淵 05
「夏葵、ネギ切ろうか?」
「お前は黙って買ってきた野菜洗って湯豆腐作ってろ」
久々に二人でキッチンに立って「余計なことをするな」と夏葵は香葵に釘を刺した。

「……はーい」
香葵がネギを持ってしょぼくれる。
夏葵が包丁を出して切れ味を確かめているうちに、香葵はネギを洗い終わったようだ。
「はい」
「ん」
夏葵がネギを刻む隣で、香葵は買い物袋から次々と青果を取り出して水にさらす。
じゃばじゃばと洗い方が豪快過ぎて、夏葵まで飛沫が飛んでくる。
「……床拭けよ」
「え……?あ、うわ!」
今更のように驚いた香葵が慌てて布巾をとる。
夏葵はさっさとネギを刻み終わって油と桜エビを取り出す。
「…………?香葵、フライパンどこやった」
「へ?」
「へ、じゃなくて、フライパンどこやった。見当たらないぞ」
「え、えーとどこかの棚にない?」
夏葵は眉間にしわを寄せると、香葵の発言を無視して冷蔵庫を開けた。
案の定、そこにラップをかけたフライパンが居座っている。
中身をのぞいて、夏葵は無言で生ごみとして処理した。何やら黒い塊は香葵作のゲテモノである。
いつ作ったのは夏葵の記憶にないが、床を拭き終わった香葵にフライパンを渡す。
「洗えって?」
「お前が調理したっていうのは自明」
しかも生ごみになるような、と付け加えてやれば香葵は無言でフライパンを水につけた。
仕方ないのでトマトでも切ろうとした矢先、

「――――――――っ!!」

息が詰まる。
動悸が荒れる。
包丁を持った手でキッチンに手をつき、開いた手で胸を抑える。
「夏葵!?」
さーっと血の気が引く感覚。
――貧血。
崩れ落ちそうになるのを、香葵に支えられる。
「夏葵、夏葵、顔青いって!」
休んでなよ、と香葵が夏葵をキッチンからひっぱりだす。
「りょう、り」
いいのか、とかすれた声で香葵に聞く。香葵に火のもの扱わせるのは心配だ。
「フライパン洗い終わるまで座ってろって。トマト俺が切るから」
香葵に強引にソファに座らされて、無理にも頷かされる。
上がった息が落ち着き始める。
動悸が緩やかになる。
血の気はまだ戻っていないだろうが、呼吸がだいぶ楽になる。
疲れているときに出先で貧血を起こすことは時折あったが、家で起こすことはほとんどない。
夏葵はもともと丈夫な方だし、持病の類もないと言っていい。それが、

――何だ?
奇妙な息苦しさ。疲れ。不調。
何かが取りついているような、薄気味悪い感覚。視線。
戻り始めている血が、とどまったような気がした。
――体調さえ戻れば調べるのに。
夏葵は力の入らない手で拳を握った。