銀の魔術師と孤独の影

spinoff-慧- 自己満足の話
そこに自己満足が形を持っているなんてことは知らずに。

慧は眼を見開いた。
ルートこそ違えど、毎年ここは通っているのに。
普通科と進学科の校舎をつなぐ2階の連絡橋。
夕焼けの差し込む廊下。
吹奏楽部の練習が反響して聞こえる。
生徒たちの、空気のざわめき。
そのなかに、セミショートの黒髪と、モスグリーンのネクタイ。
優しくて、哀しい顔立ちの、あの子。

慧、くん――

動いた唇は音を紡がない。
右手に揺れている紙袋は、こそりとも音を立てない。
左手には、血のしぶきが一滴もかかっていない鞄。

やっとあえた――

嬉しそうに、哀しそうに目が細められる。
自己満足でいいなんて思っていたから、何といっていいか分からない。
そう、名前すら知らないのだ。

「――君は、」
あの時の、
ずっとこうして、
やっぱりここに、

思う事はたくさんあるのに、一つも言葉にはならない。
自己満足でいいなんて、思っていたから。

――君に会ったのに、失礼だよね。
そう思ったのが分かったのか、彼女はくすりと笑った。

私、あの時、昇降口で――
「うん、覚えてる」
あの時はありがとう――
これ――

すう、と右手が上がる。
紙袋と、その中に入っているだろう手紙が。

あの日、渡せなかったから、今――

慧はただ頷いた。
口を開いたら、何を言い出すか分からない自分がいて。
小さな紙袋が慧の手のひらに乗る。
彼女は嬉しそうに笑った。

わたし、慧くんのこと好きだった――
でも、もう駄目だよね――
優しくて哀しい笑顔が、ぶれて薄れる。

「俺、」
彼女が首をかしげる。
「覚えてるから」
消える直前に、みっともなく震える声で。
今更意識していたと、その震えで思い知らされる。

…………――

彼女の言葉は、知る前に消え失せた。姿も。

「―――――――――――――っ!」

手に残ったのは、あの日受け取り損ねた小包。
夕日も、反響も、そこには残っていない。
優しい闇と静寂がそこには横たわっていて、
唯一の証拠が、これだった。