神代回顧録

雛 04
昨日の雨で、すっかり冬の空になった。
遠くに薄氷が張っているような違和感のある空を見上げる。
昨日の霧雨は、目覚めるころにはすっかり上がっていた。地面がぬれている名残を残すのみである。
林は、ぬかるむだろうか。
あぜ道を渡り歩きながら、小さな籠を腰にくくる。
西の林には、栗や栃の木が多い。今日はまだ残っているであろうそれらやキノコを拾えと頼まれての動きだ。
仕事を与えて、塩を求めに行く大人の衆について行かせない意図が透けて見えた。
塩と引き換える布をたくさん用意していたから、確実だろう。
羽根のひとひらから布を織り出せるこの神筋にとって、布は安い等価だ。
その上軽くて丈夫で需要がある。
羽の生えそろっていない暁にはまだ関係ないことだが。
そう思いながら、暁は林に分け入った。
夏のころに比べて、視界を遮るものが圧倒的に少ない。
寒々しいのは空と同じか。
暁は目に付いた栃の実を拾った。
まだ虫に食われていない。
そうやってしばらく林の中をうろうろしていたが、やがてその手を止めた。
空を見上げると、太陽が中天にかかろうとしている。
あまり拾えてはいないが、この季節ならそれくらいの物だろう。
暁は探すのをやめ、林の奥に向かった。
この林はあまり奥に行くと突然地面がなくなり、断崖絶壁になる。そのため、普段は誰も奥に行くときはかなり警戒をする。
ただ、一箇所だけはその心配がない。
暁は大きな楠を回り込むと、明るく開けている方へ足を向けた。
そこだけ、ぽっかりと木も枝もなく開けていた。
昨日の天気で、下草に寝そべるのは無理そうだ。
暁は岩の乾いたところを選んで腰を下ろした。
吹き下ろす風が、ひょうひょうと耳元で鳴っている。
遠くで神鳴りの音がした。どこかの神筋が争っているのか。
神鳴りが鳴るときは、神筋同士が争っている証拠だ。それも戦神や力の強い者どうしの。
雲の渦が巻きあがるような大荒しは、異筋の命同士の争い。そして風荒しは神筋と異筋が争っているという。
慎重に崖に近寄って下界を見下ろすと、遠くの雲の中に光るものが見える。
あそこで戦っている神筋たちは、きっとこの里の者なんか一捻りだろう。
暁がそんなことを考える間にも、雲がどんどん立ち上っていく。風に髪が煽られた。
あの争いは大きくなりそうだ。
暁はすぐに身を翻し、林を突っ切った。
今日は真竹もいないし、こういう事ならムラ長に言うのが一番早いか。
ぬかるみに足を突っ込んでしまい、ぐらりと姿勢を崩す。その背後で、先ほどより大きな神鳴りが響く。
転げるように林を抜けた。田畑に人気はない。
あぜ道を飛び越えて、まっすぐ井戸の広場に走った。
「じいちゃん!」
「おお、暁坊か。神鳴りがあったな」
「近づいてきた」
ムラ長である長老はひげをしごくと、じっと上空をにらんだ。
そこに神鳴りや荒らしがあるわけではないが、そうやって耳を澄ましている。
「……ふむ。では、水でも汲んであばら家に引きこもるとするかの」
そう言って足元の釣瓶を井戸に投げ込むと、また近づいてきた神鳴りが響いた。
さっとあたりに影が差す。裸になった木々がこそりとも音を立てていないのがかえって恐ろしい。
せっかくの冬晴れだったのに。
釣瓶を引き上げ手桶に移し替えると、ムラ長はどっこらせと立ち上がった。
「ほら、早く引き上げよう」
暁はそういうと、ムラ長の手を取って小屋の戸を押した。