彼岸花の咲く川で
1.澪実のはなし 03「……んで」
おねーちゃんがかすれた声を絞り出す。
「何で俺が死んだんだよっ!?」
「知らないよそんなこと」
俺の口調はあっさり風味。
「デスクワークの連中とか俺の上司なら知ってるだろうけど。ま、想像はつくわな。――事故か自然死」
「事、故……?」
「今まで君はどこにいた?」
「土手……土手で、タバコ吸って……」
そこから先は思い出せないらしい。
それでいいのだ。そうでなくてはいけない。
死の瞬間やそれに準ずる記憶は本来残らない。――自殺でないかぎりは、ほぼ100%
「事故だろうね。大方、車でも突っ込んで来たって所でしょ」
「そん、な……」
おねーちゃんが俯く。
「俺は、帰るっ……!」
「無理だね」
俺が即答すると、おねーちゃんはがばっと顔を上げた。
「じゃあこの川泳いででも」
「わー待って!それだけはやめて!マジで!!」
川に飛び込もうとしたおねーちゃんを羽交い締めにして必死に押さえ込む。
そんなことされたら始末書確定だ。
不安定に揺れ動く舟の底から不穏な気配がする。
「俺言ったろ!この舟一方通行って!この川泳ぐとか、絶対ダメだっての!」
一方通行には理由がある。こういうのがいるからだ。
もがき続けるおねーちゃんに、俺はとっさに頭突きを食らわせた。
こういうのを防ぐ仕込みが川の中にはある。
頭突きでひりつく頭をさすりながら俺はおねーちゃんに言った。
「この川には鼠返しならぬ死人返しがあってっ、川にはピラニアが帰化してんのっ。だから泳いでとかムリっ。その前に体から魂まで綺麗さっぱり食われ尽くすからっ!」
「なっ……!」
ピラニア帰化はさすがにショッキングだったのか、おねーちゃんが硬直する。
「ピラニアってのは食う前につついて、叩き返されれば食わないって言うけど……。この川この辺りにいる数百数千の群がってくるピラニア全部対処できる?君」
俺はムリ。千手観音ならもしかしたらできるかも。――それくらいありえない。
「さー今度こそ観念したなこのクソガキ。わかったならとっとと行くぞ。彼岸につきさえすれば後は俺の管轄外だ。諦めるなり逃げるなりピラニアチャレンジするなり好きにしな」
俺の知る限りピラニアチャレンジは今だにいない。まあ逃げても担当者の部下と地獄の追いかけっこが待ってるけど、そこまで教えてやる義理はない。
地獄で地獄の追いかけっこ、うーん笑えない。
ひとりのんきにそんなことを考えて、再び舟を進める。流れは緩いが結構流されてしまった。
おねーちゃんは呆然自失だ。
俺に手間かけさせやがった罰だざまーみろ。
「ついたぞ」
ぴくりとも動かないおねーちゃんに一応声はかけてやる。
びくりと肩が跳ねる。
「さっさと行けよ。あんたが下りたら俺、仕事上がりなんだからさ」
邪険に言うともたもたと動き始める。
おねーちゃんが桟橋に降り立った瞬間、彼岸から強い風が吹いた。
ざああ……
彼岸花が風に舞う。
「っつ……」
「じゃーなー」
風を背に受け、彼岸を離れた。
――しけてる。やってらんねー。
心の中でそう言うと、竿で水面を叩いた。
ばしゃん……
水面下で、ピラニアの銀の輝きが不穏に揺れた。