ボクと私と空中都市
1.猫の街 08その日の空気は匂いが違った。
しっとりと水気を含んだ雨の匂い。
カッツェとガミルの街は雲の中にいた。
都市が高所にあるおかげで荒れることはないが、時折不穏に街が揺れる。
ぴっと紫電が走るのは雷だ。
こんな天気だからか、街開きは4日目なのに、ひどく閑散としていた。
目覚めと同時に雨だと気がついたレオは、あわただしく出かける準備をしていた。
雨の日は、たとえ地下層であっても空いている。必要物資を買いに行くのにはうってつけだ。
いつもの物入れやコートを身につけると、普段は荷物を詰めている背負い袋をベッドの上にひっくり返した。そのまま中身をぶちまけて空にする。
机の上からメモを探し出すと、レオはフードをかぶって部屋を出た。
まだ朝は早く、食堂やパン屋が賑わいを見せている。
途中、パン屋で焼きたてのパンをひとつ買ってかじる。
買いこんである味気ない固焼きパンと違って、喉につかえるという事がない。
その足で広場に向かい、露店を見まわす。12層で買うものはもうない。
レオはパンを飲み込むと階段へ向かった。10層と7層はほぼ商業街になっている。
まずは服など衣類、次に錬金術具を少しばかり買い足す。最後に食べ物だ。
軽い足音を立てて、レオは人の少ない商店街を軽く駆けた。その途中、ふと靴屋で足を止める。
レオが今履いている靴は古い。底はかなりすり減っている。
店頭には可愛らしい物から作業用まで、大小数がそろっている。
レオは店頭でしばらく商品を眺めていたが、奥から出てきた売り子に声をかけた。
「旅用の靴ってある?」
「ありますよ。ショートでしたらこれですね」
売り子はレオの足元を見て、小ぶりなショートブーツを並べた。
レオはそれぞれ重さを比べる。そのうちのいくつかに納得し、試し履きした。
小柄な分、足も小さいからどうしても爪先が余っていた。
「もうひとつ小さいのない?」
「そこの黒と茶のならありますが他のは……」
「じゃあ茶の方で」
棚から出して貰ったブーツを試す。
レオはひとつ頷くと「これください」と言った。
「1カリオです。そのまま履いて行かれますか?」
それなら引き取りますが、と言いかけた売り子をレオは制した。古い靴は古い靴で履き潰す。
レオは新しい靴の紐を結んで背負い袋に結んだ。
店を出ると、人通りは増えていた。
人を交わしながら、雑貨屋と服屋を覗く。
靴下の束やシャツを適当に見つくろって買いいれる。ズボンをしばらく物色していたが、気に行ったものがなかったのか、レオは店を離れた。
そのまま外階段で17層の錬金街へ駆け下りる。フードをかぶっていても霧雨は髪を濡らした。
外縁に並んでいるのは錬金術師の工房ばかりだ。商店は見当たらない。
レオは雨粒を払いながら、商店の灯りの見える通りへ足を向ける。
材料や保存用の瓶をあちこち比べ、値切りながら購入していく。
「……こんなもんか」
レオの背負い袋は少し重たげに下がっている。
メモ用紙に書かれているもので購入していないのは食料だけだ。
レオはひとつ息を突くと、メモ用紙をポケットに入れて階段をのぼりはじめた。
荷物を提げたままでも、5層程度で息を乱す人は誰もいない。
レオは奥まったところにある宿屋に一度戻って、荷物をベッドの上に開けた。いろいろな物が広くないベッドの上に山になる。
そのうち錬金術関連の物だけを机に置くと、レオは再び空の背負い袋を手に部屋を出た。
12層の商店街も露店も、昼になって賑わいを見せている。
適当な露天に首を突っ込んでは、めぼしい物を値切って購入していく。
「リンゴ、オレンジ、ハーブ、干し魚……あとはパンか」
宿屋の近くにパン屋があったので、道を引き返す。
その途中の食堂でマリネを包んでもらい、パン屋で固焼きパンをまとめて買いこんだ。
「バターやジャムはいかがですか」
「いえ、あるんで」
まとめて買ったバターは子壺に入れ、机の棚に置いてある。しばらく間に合いそうな量のためレオは断った。
パンを受け取り、部屋に戻る。
荷物が山を作っているベッドを一瞥し、机に背負い袋を下ろした。
そのまま食料を革袋に移し替える。
机の上もベッドの上も目に留めず、レオはパンとマリネで遅い昼食を取り始めた。
昨夜まとめて作ったお茶が残っているので、カップ代わりのビーカーに注ぐ。
砂糖も果物も入れてないせいか、レオは苦い顔をした。そもそも空中都市で流通している茶っ葉を使うと、平均して苦い。
固焼きパンをナイフで切り、マリネと一緒にかじる。
旅人は日持ちするからと固焼きパンを好むが、そもそもこれはスープに浸して食べるのが本来の食べ方だ。それをそのまま食べるのだから堅くて当然だ。
時間をかけてパンを食べきる。マリネは半分ほどを残して包み直す。
そうして、レオはやっと机とベッドに目を向けた。
衣類から道具から山になっている。
ため息をひとつすると、レオはその山を片づけるために手を付けた。