ボクと私と空中都市

1.猫の街 06
レオは地下12層でやっと階段を下るのをやめた。
広場は広くはなく、露店はまばらだ。
ゲートには「鍛冶街、錬金街」とある。宿屋とは一言も書いていない。
レオはゲートで広場を観察していたと思うと、果物を売っている露天に足を向けた。ポケットから一番小さい貨幣の石を取り出す。
「ミルカリオでオレンジいくつ?」
「ミルなら5個だね」
「じゃあ4個で……この階の宿屋ってどのあたりにある?」
「宿屋ねえ……」
店主はオレンジを紙袋に放り込みながら首を傾げる。
「ああ、鍛冶街と錬金街の境に商店街があるんだが、そのあたりのわき道に入れば、どこかしらにあるぞ」
「そう。ありがと」
レオはオレンジを受け取ると広場の奥へ向かった。遠目に見ても商店街だと分かる。
街開きだからなのか、それとももともと早いのか、半分ほどの商店がすでに開いている。だが、人通りはない。
その道を、あっちの路地へ、こっちの路地へとレオは覗いて歩く。
しばらくすると、目星がついたのか一つの路地に入った。外が近いのか、陽光がうっすら差し込んでいる。
その店はひっそりと「OPEN」の木札があるだけの店だった。だが中から子供の声がする。
「親父、ここの部屋ってひと月何カリオ?」
「1カリオから、3カリオまであるぞ。3カリオは一部屋だがな」
「1カリオの部屋一つ、次の街開きまで借りたい」
「支払いは月頭だ。帳簿に記名も……いいな?」
レオはひとつ頷くと、物入れから1カリオを取り出した。そのまま台帳に記名を――しようとしたが、高さが足りないらしく手をついて身を乗り出した。
「おじさん、私も同じ部屋を取りたいんだけど、ひと月で」
「じゃあその坊主が書き終わったら嬢ちゃんも書いてくれ。1カリオだ」
「はーい」
メロウも腰の物入れから財布を取り出して1カリオを取り出す。
レオに続いて、メロウも台帳に記名をする。
レオは鍵を受け取ると、さっさと奥に消えてしまった。
メロウは通路を覗き見て部屋の位置を確認する。
「何だい、嬢ちゃん、坊主の連れか」
「そんなところです」
「そんなら、ほら。部屋は斜め向かいを使いな」
「ありがとうございます!」
メロウも鍵を受け取ると、「09」とナンバーの打たれた部屋に向かった。



「わ、すっごい! すごいよ! カッツェの街と橋、凄い!」
外縁の通路から外を見上げ、メロウは子供のように喜んだ。
今までこうして、他の街に来て、カッツェの街を下から眺めたことはなかった。その橋を行き来する人もそうそう眺めたことはない。
通りの鍛冶屋にいるレオはその姿に目もくれない。ときおり工房へ目を向け、手入れを頼んだナイフが仕上がるのを待っている。
やがてレオは店先から離れると、のんびりとオレンジをかじり始めた。
上層からはにぎやかな街開きの賑わいが聞こえてくる。
鍛冶街と錬金街からなっているこの階は静かだ。
「ねえレオ君、これが終わったらどうするの?」
「…………何でボクについて歩く」
「詳しいんだもん。だめ?」
「だめだ。鬱陶しい」
メロウは口をとがらせる。
「観光がしたいなら一人で行け。ボクは興味がない」
レオはきっぱりとそう言うと、鍛冶屋に戻る。
メロウはしばらく口をとがらせていたが、くるりと背を向けた。
来ないんだったら一人で満喫するしかない。
静かだが下は魔術具街になっているため、メロウは外階段におそるおそる踏み出す。
風が強い。もう昼のせいか、空は晴れ渡って景色がよかった。
かえって、橋とは比べ物にならない恐怖がある。
岩壁に手を突きながらおそるおそる降りる。すれ違った人は何を恐れる様子もなく淡々と階段を上っていった。
メロウはたっぷり時間をかけて13層に入る。
思わず息を吐いた。そうして辺りを見ると、どこか見なれた魔術具街に、自然と笑みがこぼれる。
あっちこっちの店に出入りして、ぶらぶらと楽しむ。確かにカッツェの街より皮革製の道具が多い。
「お土産には何がいいかなあ……」
腕輪をまじまじと見ながら考える。
メロウの腕輪は金属製だから、ひとつふたつ程度では違和感があるだろう。
「あ、ベルトがいいかな」
メロウはそう呟くと、あっちこっちの店を探し始めた。魔術具を入れるから専用の丈夫な物を手にとって選ぶ。
やがて納得がいったのかひとつ頷いた。
「……って、高ぁ」
値札には一つ5カリオとある。5カリオあれば生活することができる額だ。
メロウはしばらく考え込み、カウンターをちらりと見た。
「おばちゃん、これ、ちょっと高くない?」
「魔術具でいいもんはそれくらいだよ」
「わかるんだけどさ、ミルカリオまけてくれない?」
カウンターの老婦が少しばかり渋った。
「最低でも1ミルカリオまけてくれないとちょっと買えないよ」
メロウは口をとがらせてそう言うと、老婦が息を吐いた。
「分かったよ。2ミルカリオまけてあげるよ」
「やったあ」
ベルトを渡し、メロウは財布を取り出す。
「あんたはカッツェの子かい?」
「うん。カッツェのベルトって安いんだけど、すぐ壊れちゃう」
「へえ……魔術の街だからいいものがあるような気がするんだがねえ」
はいよ、と老婦に紙袋を渡される。メロウは礼を言って受け取った。
またあっちこっち覗きながら通りを歩くが、外階段のところへ出ると12層へ戻り始めた。そのまま宿屋に直行して部屋に入る。
時刻は夕方。辺りに香草の匂いが流れる。
メロウの腹が小さく音を立てた。
この宿屋では食事は出さないので、何かしら調達するか、食堂に入らないといけない。
メロウはベッドから起き上ると靴紐を結び直した。その最中、うっかり壁に頭をぶつける。

ひと月1カリオの部屋は、個室で一番安い。その分ベッドと小さな机、クロゼットしかない。部屋の横幅はドア2枚分、奥行きはその倍ときたら、それぐらいしか入らないのは当然だ。
一応ベッドの枕元と机の壁に棚があるだけましな方である。
メロウは鍵を閉める直前に寂しい部屋、と呟いた。
扉が閉まり鍵が閉まると、部屋の中を満たしていた光が揺らぐように消えた。