ボクと私と空中都市

1.猫の街 02
この美しい街が、今日は何処か浮き足立っている。
街開きが迫っているのだ。
もう街の外縁部から進行方向を見れば、都市のシルエットを見ることができる。
目視で街の様子が見えるほどになると、橋を架けるための空中楼閣が互いに幾条も伸ばされ、都市は連結される。
そして、半月から一月ほど、普段は外部から絶たれた都市同士の行き来が行われる。
すなわち、街開き。
年に1,2度程度あるかないかという行事に、商魂たくましい商人は気合いを入れ、研究熱心な魔術師や錬金術師たちは期待を高め、人々の好奇心を刺激する。
大量に移動する人と物と金。そして情報。
その期待と思惑が渦巻く中――事件が一つ、起きた。



地下20層、生活区

魔術師が多く生活する階層である。
その外縁部にある広場で言い争う人がいた。
一人は、赤金の髪を背まで伸ばした少女。
一人は、薄い頭に錆び色の髪が残る老爺。
どちらの身なりも魔術師。どちらも同じ円盤を腰に下げていることから師弟である。
その二人が声を張り上げて揉めていた。

「とぼけないで! じゃあ何、私の下着が勝手にあんたの部屋に侵入したとでもいうわけ!? 盗んだんでしょう!」
「何を馬鹿なことを言いおる! 儂は盗んだわけではない!! 愛でただけじゃ!! 言いがかりにも程がある!」
「それを盗んだっていうのよ下着泥棒! それに部屋を移したのに追いかけてきて着替えを覗くだってどういうつもり!?」
「愛でたんじゃ! お主の部屋を覗いたのは、師として成長と安全を見守るためじゃ!! そもそもお主が儂のところから出て行ったから心配をしておるのを何たる物言いか!」
「貞操の危機を感じるところに誰が残るものですかっ!」

どうやらこの老爺、エロジジイであるらしい。
しかも、師匠という立場を悪用し、少女の服や下着を盗むわ、着替えは覗くわ、好き放題である。
少女の口からは過去の罪状が出てくるわ出てくるわ。風呂に突然入ってきた、服を身に着けられた、睡眠中に部屋に侵入された、服を脱がされかけた、果ては老爺の性欲処理の相手をするように言われた……等々。
よくもこれだけ出てくるものである。
だが老爺は過去の罪状を並べられても臆することも恥じることもない。むしろ弟子であれば、同じ場所に住む異性であれば当然とばかりに言い返す。
呆れた言い争いであった。
だが広場にいる人々は、あまり気にしていない。
よくあることなのだ。この師弟……というかこの老爺がらみの揉め事は。
その結果としてマダラ禿になり、前歯は半端に欠け、膝を痛めて杖が必要になったというのに懲りていない。
そんな老爺に、少女がついに怒りの臨界点を超えた。

「その目か頭、今日こそ叩き潰す!」
「馬鹿者! お主が儂に勝てると思うてか!! 返り討ちにして連れ戻してやるわい! 一から再教育じゃ!!」
「誰が再教育なんて受けるものですか!!」

広場の人は巻き添えを食わないように距離を取るが、その様子にもやはり慣れがある。
過去の弟子もだいたい身寄りのない少女か、中性的な少年ということで、これまでどうであったかがわかるだろう。
つまり――いつものことなのである。

なぜこのようなことがまかり通っているのか――それは、空中都市では各層各区で自治はあっても法はほとんどないからである。
せいぜい、都市内で危険視されるのは殺人と放火、大規模爆発である。これ以外は各人が何とかせよという暗黙の了解だ。
その結果、このように広場で公然とエロジジイをやり込める事が出来るのである。
その上目撃者が「問題なし」とみなした場合、結果として殺してしまっても問題になることはない。

しかしながら、何度もそんな目にあっているだろうエロジジイは、しぶとく生きている。
少女もそんなことはわかっているのだろう。腰の円盤を手にしただけで、警戒し飛びかかる様子はない。
老爺も杖を打ち、腰の円盤に手をかけている。
そのじりじりとした緊張感が周囲に移り始め、人が離れ始めた。
少女がじりじりと円盤を持ち上げ、周囲に放たれる「気」が変わる。
老爺は、動かない。
物見高い魔術師たちは、お手並み拝見とばかりに安全を確保して何が来るか待っている。

来る。誰もがそう思った。
だがそこにいた人々を裏切り、先に動いたのは老爺であった。